そのモノにはそのモノの名前がある。その人にはその人の名前がある。特定の単語を聞いたとき、人によって思い出すモノや人は違うかもしれない。
この自分が思い描いたモノの名前が、全く違う意味で使われていたら、まずは自分の思っているモノとは違うのだから、違和感を覚えるだろう。
例えば、「カメラ」という写真を撮る機械。
もし、カメラが映画やドラマに登場したとき、その世界ではカメラがもずくなのは当たり前で、全員が当たり前のように「もずく」で写真を撮っていたら確実に違和感を覚える。反対に、もずくがカメラで、みんなが「カメラ」を食べていてもびっくりする。
だけど、もし「カメラ」が「盗撮犯の名前」だったら。
最初はちょっと笑っちゃうに違いない。「盗撮犯だからってカメラww」って、草をボーボー生やしながらTwitterに書くことも、間違いなし。
映画を見終わったあとでも捕まったカメラさんのことをきっと思い出すし、作品を作ったスタッフさんたちのことをちょっと好きになりそう。それくらい、私の中で印象に残る「上手いネーミングセンス」だ。
自粛していて暇だったので、友達におすすめしてもらって見た映画の「ダ・ヴィンチコード」、「天使と悪魔」には、「上手いネーミングセンス」が存在していた。
「ダ・ヴィンチコード」のネーミングセンス

私は鎌倉が好きだ。電車で2時間ほどかかるので、ちょっとした小旅行気分。何度行っても新鮮な気持ちで遊べる。海が近いのも最高。鎌倉に行きたくなる理由のひとつだ。
そして鎌倉に行ったら必ずと言っていいほど、目に入ってくるのが「シラス」の文字。生シラス、茹でられたシラスをご飯の上に乗せたシラス丼は、観光地価格で少しお高めだし、今までの人生で最強の「命をいただいている感」。
写真を撮ったら少しグロテスクだし、人気店は並ぶし、だけどやっぱり美味しいし、鎌倉補正で家で米に乗せて食べるより美味しく感じるので、1年に1回は食べたくなる。
そんな愛すべきシラス。ダ・ヴィンチコードにはシラスという名前の青年が登場した。
彼は色素欠乏症(アルビノ)で、肌も毛も真っ白な修道僧。その独特な雰囲気と、人をバッサバサ殺していく姿がカッコ良いんだけど、名前がシラス。
映画を見ている最中、「シラス…真っ白…茹でシラス…」と、そのことで頭がいっぱいになった。シラス。シラスだよ!?シラスはシラスしかなくない!?って今でも思っている。
「天使と悪魔」のネーミングセンス

「天使と悪魔」は、「ダ・ヴィンチコード」の続編にあたる映画。
カトリック教の長であるローマ教皇が亡くなって、次のローマ教皇を決めるんだけど、次のローマ教皇を決めるための儀式が「コンクラーベ」なの。しかも鍵がかかった密室で、お揃いの服を来たおじいちゃんたちが次のローマ教皇にふさわしい人を投票して決めるんだけど、密室vsおじいちゃんの根比べだよね。
鍵がかかった密室で長いこと投票を続けるからコンクラーベか…と思っていたんだけど、コンクラーベと同時に、次のローマ教皇候補として有力な4 人の偉いおじいちゃんたちが誘拐されていた。
有力者おじいちゃんたちが無事に戻ってくるまでローマ教皇を決めたくないから、投票で小細工をして時間を稼ぐおじいちゃんたちvs早くコンクラーベしたいおじいちゃんの投票根比べもはじまっていて、コンクラーベ祭りが開催されすぎてて笑いが止まらなかった。
もうダジャレはやめなしゃれ

「上手いネーミングセンス…」なんて格好つけたけど、結局のところただのダジャレでしかない。
いや、この映画のレビューを読んだけれど、誰もこのダジャレについて何も言ってなくて「マジか?!」って驚いた。どう見てもダジャレだったのに。
映画も面白かったけれど、頭に残っているのは、「おじいちゃんたちのコンクラーベがガチ根比べで爆笑した」ことと、主人公がちょっとハゲてたことと、旅についてくる女の人が美人なこと。教養がないね。
ただ、今まで中学、高校でテストのために記憶させられただけの宗教が、こんなにすんなり理解できるなんて、学生の頃に見たかったな。これ見てたらきっと宗教の名前答えるテストはいい成績だったろうな。
戦国無双の影響で、世界史には目もくれず日本史選んだけれど、ちょっと世界史も選んでみればよかったなって思う。宗教に関わる人たちの考えとか、盲信的になる理由とか、過激派になるまでのストーリーとかが気になってきちゃう映画でした。